学ぶ心あれば師あらわる
何かを始めたいがやり方がわからない。何かを極めて一流の人間になりたい。
しかし、教えてくれる人がいない。
例えば以下のような場合です。
異動になって初めての仕事がわからん。
資格の勉強したいけど教えてくれる人がいない。
趣味のスポーツ始めたいけどどう始めたらいいのか。
不思議なもので本気で学びたいと思えば、なぜか師があらわれます。
私もその時々、師匠がおりました。学生時代の先生、教授、部活の先輩、会計士予備校の講師、仕事の上司。
思えばたくさんの師匠に囲まれて成長してきました。ありがたいことです。
今回は、まずは始めてみましょう!師匠がどこからか現れます。というお話です。
学ぶことは真似ること
学ぶはよく「まねぶ」、マネをするという意味からきていると言われます。
先に始めたその道の達人がいて、その人のマネすることで上達してきます。
まずはマネをすることが学ぶことなのです。
厳しい師弟関係において「教えない盗め」みたいな話を聞きますが、
ちょっと乱暴ですが真実をついているという気もしなくもない。
でも、近くに達人がいたとしても、そこから吸収できるかどうかは自分次第なのです。
人間はわがままなもので、放置すれば全然教えてくれない、行き過ぎた指導は実はうざったいと感じてしまうのです。
時には見守ること自体が指導でもあるのですね。
それらすべてをひっくるめて師から教わるということです。
本人のモチベーション次第です。
学ぶ心こそ師
学ぶ心あれば師現る。
この師の正体は、自分の学ぶ心が作り上げたものです。
例えば、刀鍛冶になりたいと思う人は有名な刀匠を師と思いますが、興味ない人は刀鍛冶をみてもなんとも思いません。
師は自分の心が作り上げます。
これをうまくなりたい。プロになりたい。という強い意志です。
そして、師は手取り足取り教えてくれるというものでもありません。
その師の姿を見つつ、自分で試行錯誤を重ねて上達していきます。
結局は自分で苦労して身につけたものこそ本物の実力だと思います。
そうです、師は自分で作り上げ、実力も自分で作り上げる。
結局は自分の自作自演、自分次第だということなのです。
悩み解決。うまくなるかどうかは自分次第
冒頭、何かをうまくなりたいけど、どうしたらいいかわからないということを書きましたが、
もう、その悩みは解決です。
仕事でも、勉強でも、趣味でも対処法は同じです。
そうなりたいという強い意志をもって行動を起こすことです。
そうすれば、師は現れます。というか自分で師を作り上げます。
その師を見て上達していく。
モチベーションが続けば、その道のプロになります。
そして自分が誰かに勝手に師にされる。
そのようなループが続いていくのだと思います。
「学ぶ心あれば師現る」奥深い言葉ですね。
最後にパナソニック創業者で経営の神様と言われる松下幸之助氏の言葉を紹介します。
自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生みだしたと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。そうした今までの数多くの学びの上に立ってこその自分の考えなのである。自分の知恵なのである。だから、よき考え、よき知恵を生み出す人は、同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。
学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、後輩の純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、自然の理法がひそかに脈づいているのである。そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。
松下幸之助
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