人としての器の大きさ、懐の深さ
懐の深い人間、心が広い人間、器の大きな人間になりたい。
人間的な魅力がある人になりたい。
あの人はどうしてあんなに包容力があるのだろう。
大きな人物になりたいなと思っていたりしませんでしょうか。
それなのに、現実の日常生活では、電車の中で電話に出る人にイライラしたり、お店の店員のちょっとしたミスに腹をたてたりと
ほんと自分は器が小さい、極小の人間だなと悩んでいたりする人は多いです。
つまらないことですぐに感情が揺さぶられてしまいます。
これでは器の大きな人物には程遠い。
そこで今回は、器の大きな人物、懐の深い人間になるためのヒントを考えてみたいと思います。
どのような場面で人間の大きさを感じるか
どのような場面で「あ、この人器の大きいだな」と人間の大きさを感じるのでしょうか。
一つに、失敗のフォロー場面で、それは如実に表れます。
自分が失敗したり、相手の気分を害することをやらかしてしまったときに、相手がこちらの予想に反して、
いいよ
大丈夫
ぜんぜんOK
全く問題ない
と言ってくれる。
こんな言葉をかけられたら、感服してしまいますね。
怒られる、気分を害すると相手が思っている時こそ、相手の立場を汲み取ってフォローする。
これがポイントのように思います。
以下二つの事例を紹介してみます。
名刺をなくした
ビジネスマンであれば「名刺はその人だと思って大切に取り扱え」と教えられた人も多いのではないでしょうか。
ある時、お客さんの会社の社長が来社し名刺を交換しました。
数か月がたった後に、その社長が再び来社しました。その際に仕事の用務でその社長宛に電子メールを送ることとなりました。
社長からは「名刺のアドレスに送ってくれ」といわれたが、デスクを探しても以前もらった名刺がない。
仕方がないので正直に「大変申し訳ありません、名刺をなくしてしまいました、もう一度名刺をいただけませんか」とお願いしました。
社長には嫌な顔をされるかなと思っていましたが、
その社長は
「名刺っていうのはそういうもんだ」
と笑顔でもう一度名刺をくれました。
その時「社長、大きい人だな」と感じたのでした。
コーヒーをこぼした
会社の先輩3人と自分の4人でお昼のランチにいきました。
ランチを食べ終わり、最後にコーヒーが出されました。
コーヒーを飲もうとしたとき、手が滑って、そのコーヒーをこぼしてしまいました。
よくあることです。
テーブルはこぼれてしまったコーヒーだらけです。当然本人は慌てます。
おしぼりでとりあえず応急処置をするものの、まったく足りず。
他のお客さんもチラチラみています。
そんな時、先輩はすばやく店員さんに拭くものを頼んでくれ、店員さんにコーヒーを片付けてもらいました。
コーヒーをこぼした当の本人のは申し訳なさそうに「すいません」と先輩方に謝ります。
そこで3人の先輩方は口を揃えて言いました。
「まったく問題ない」
問題なくはないと思うのですが、そう言われるとそんな気がしてすぐに立ち直れます。
過度に気にしてしまっていることに対して、問題なしと言ってもらえたのはとてもうれしいものでした。
以上の事例から学べること
以上の事例で共通することは以下の3点です。
大きな視点から物事とらえている
たしたことではない。大勢に影響がない。
とドンとかまえているところですね。
器が大きな人は動じない、うろたえない。
確かに長い人生の中で考えれば、クリティカルな影響のある出来事ってそうそうありません。
目の前の出来事に対してすぐ過敏に反応するのではなく、大局的な視点から物事を見ています。
他人の立場や気持ちを汲んでいる
相手の立場に立てるということです。
相手が自分だったらどう思うかということを自然と考えられる人です。
人の気持ちを察する能力が高いからこそ、適切なフォローができます。
困ったときこそ優しい言葉をかけます。
失敗に対して寛大である
懐が深い人は、押しなべて失敗に対して寛大です。
相手を許すことができるのも能力です。
起きてしまったことはしょうがないと切り替えることが上手いのかもしれません。
理想は自分に厳しく人に優しくです。
人は自分の基準で相手のことも判断しがちですから、なかなか難しいことです。
以上、今回は心が広い、懐の深い人間になるにはどうすればよいかをご紹介しました。
「あの人は人間がでかい」「器が大きい」と言われてみたいですね。
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